京都で始まる、銀器への道
加藤喜輔が京都へ上り、金銀細工の修業を始めます。江戸時代末期、若き日の学びが純古堂の原点となりました。
銀盃のイメージ明治3年4月創業 · 富山県高岡市
150年以上の歩みを、一つの盃に。
祝いの席に、記念の贈り物に、日々の一杯に。
SILVERWARE / TAKAOKA, JAPAN
純古堂は、明治3年(1870年)4月を創業年月とする、富山県高岡市の銀盃の店です。創業者・加藤喜輔が京都と金沢で学んだ銀器の歩みを受け継ぎ、現在は純銀製の銀盃を主力にご紹介しています。
銀のやわらかな輝きと、時を重ねて深まる風合い。お祝い、表彰、節目の記念品として、そして暮らしの器として。2寸から5寸5分までの銀盃と、中央のマーク・外周の文字彫刻のご相談をご案内します。
大切な節目を、銀盃に刻む。
純古堂の歩みを知る明治3年4月、純古堂は高岡でその歩みを始めました。創業者・加藤喜輔が京都と金沢で学んだ金銀細工の技。その出発点から、銀器と向き合う家業の歴史が続いています。
祝いの席を彩り、大切な節目をかたちに残す銀盃。時を重ねても変わらない器の魅力を、これからの暮らしへお届けします。
加藤喜輔が京都へ上り、金銀細工の修業を始めます。江戸時代末期、若き日の学びが純古堂の原点となりました。
京都での修業を経て、金沢の小松屋吉兵衛のもとへ。金銀細工の技を磨き、器づくりの道を深めます。
喜輔が故郷に戻り、純古堂の歩みが始まります。京都と金沢で培った学びを、高岡の家業へとつなぎました。
第1回国勢調査の調査員・田畑與作に授与された記念銀盃を手掛けます。人の功績と節目を銀の器に託す仕事は、純古堂の歩みにも刻まれています。
三代目が、創業者の修業と家業の沿革を書き残します。銀器への思いを次の時代へつなぐ、純古堂の歴史の一頁です。
加藤喜輔の名を残す銀瓶。銀盃だけでなく、茶の器にも向き合ってきた純古堂の歩みが、銀器の多彩な表情を伝えます。
食卓の道具であり、美意識を伝える工芸品でもある銀器
西洋と日本の歩みから、その魅力をご紹介します

西洋では、銀食器は実用の道具であるとともに、豊かさや格式を示す品として用いられてきました。17〜18世紀のヨーロッパでは、食卓に料理を並べる習慣の変化に合わせて、銀の皿や盛り付けの器が発達。意匠を凝らした銀器が、もてなしの場を彩りました。
日本では、銀器は大名家の調度にも用いられてきました。江戸時代の銀の椀や盃、銚子、そして明治の銀盃。器に施された文様や繊細な細工には、暮らしを彩る美意識が息づいています。実用と工芸の美を兼ね備えた、豊かな器の文化です。
銀盃は、大切な節目をかたちに残す贈り物です。純古堂は、大正10年の国勢調査に関わる記念銀盃も手掛けてきました。お祝い、表彰、退職や周年の記念に。中央のマークや外周の文字に思いを込め、時を重ねても心に残る一盃をご提案します。
純銀製の銀盃 · 8つのサイズ
半寸刻みのラインナップをご自宅からご覧いただけます。
輝きを愛でる
時の色を愉しむ
銀の黒ずみは、主に空気中などの硫黄成分と反応する「硫化」によるものです。銀器に見られる自然な変化で、黒ずみだけで品物が傷んだとは限りません。
磨いた銀の明るい輝きも、時とともに落ち着く深い色合いも、それぞれに魅力があります。古い木の家具に風合いが生まれるように、銀の色の変化を、ご自身の器と過ごした時間の表情として楽しむのも一つの付き合い方です。
適切なお手入れで、明るい銀色を楽しむ。
自然な黒ずみがつくる、深い陰影を楽しむ。
仕上げによって適切なお手入れは異なります。彫刻やいぶしなどの仕上げを強く磨くと、表情を損なうことがあるため、まず品物に合う方法をご確認ください。
マーク・文字彫刻なしの標準品は、サイズを選んでカートへ。
メールを使わず、このサイトからご注文いただけます。
2寸から5寸5分まで、8サイズからお選びください。
商品を選ぶ住所を入力すると送料を計算します。数量・総額・納期・返品条件を確認して注文を確定します。
銀行振込は注文確認ページで振込先を確認できます。カードは接続完了後、Stripe画面でお支払い。入金・決済確認後、制作・発送を進めます。発送状況も同じページで確認できます。
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